10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

「完結編:夫のエッセイ集 20年目のニューイングランドの春」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第69回~

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夫の現役時代に投稿したエッセイ集

これまで、夫のエッセイ集を10回に分けてご紹介しました。

・Stanley J Korsmeyer 博士からの贈り物 

🍀前編

🍀後編

・Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴

🍀No.1 肺がんの発病とFellowたちへの告知

🍀No.2 肺がん治療中のStan

🍀No.3 Fellowたちの千羽鶴の祈り

・IT革命がもたらしつつある変化  Steve Jobsの話

🍁「点と点をつなぐ:Connecting the dots」

🍁「愛と喪失:Love and Loss」「死:death」

・死についての私自身の体験

🍁高橋英伸先生(享年39歳)

🍁大星章一教授(享年54歳)

🍁Stanley J Korsmeyer博士(享年54歳)

「完結編:夫のエッセイ集 20年目のニューイングランドの春」

Stanは、亡くなる8年前に、ボストン郊外の「ニューイングランド」地方に移り住みました。ハーバード大学シドニーファーバー教授として招聘されたため、それまで住んでいたセントルイス(夫が共に働いた場所)から約300キロ離れた地へと引っ越すこととなったのですが、肺がんに罹患したStanのお見舞いに、ご両親やお子さんたち、fellowたちがいつも訪れていたそうです。

夫は、過去に既に発表していたエッセイ集をこちらに連載する直前に、「20年目のニューイングランドの春」というタイトルでStanとの最後の交流について手記を書います。現在の心境も綴ったものです。

Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴(No.3 Fellowたちの千羽鶴の祈り)の続編になります。

20年目のニューイングランドの春

2004年の5月の連休の時にStanley J Korsmeyer 博士のお見舞いにボストンに出かけた。肺がんを発病してから3年経っていた。ある程度小康状態を保っていたため、みんなでヨットに乗って航海(※写真1)に出たり色々な活動ができた。私はその航海に参加できなかったがWEBに出されている皆の姿を見ると元気を取り戻している姿が写り、とても心強く感じたのを思い出している。そこで、もう最後かもしれないということで5月の連休にボストンに出かけた。その時にはStanley J Korsmeyer 博士のご両親(※写真2)もボストンに滞在しておられた。また、次男の彼女も遊びに来ていた。 

 

自宅に飾ってあったすだれ状に吊り下げられた色とりどりの千羽鶴を見せてもらった。Stanと奥さんのSusanの言葉を聞いて胸がいっぱいになったことが鮮明に思い出される。

 

その後、Stanがゴールデンレトリバー2匹を一緒に連れて、私と一緒に家の近くを散歩することにした。1時間半ぐらいの散歩だった。私はStanから少し離れて歩きながら、気づかれないように後ろから何枚も写真を撮った(※写真3)。これが最後の写真になるだろうという思いが頭から離れなかった。

散歩中の話は他愛もない話で、"どこどこの上の方には、ちっちゃな水たまりがあって、そこに綺麗な花が咲いているんだ。そこの水たまりにはいろいろな水鳥が来たり、とても綺麗なところだ。花も咲いているし、、、"

実際、たんぽぽが咲いていたように思う。たんぽぽの一部は羽毛になって、「ふっ!」と息を吹きかけると綿帽子が飛んでいく。そんな子供の頃の遊びを思い出していた。普段はそんなことを思わないのに、(こうやって命が継がれていくんだな)、という生々しい実感を覚えた。命はこうやって繋がっていくという気持ちだ。

 

かなりの距離を行って池を一周して家の近くに帰って来た。扉を開けて家に入ろうとした時、スタンが急に近くに来て、私の肩をがっしりと抱きしめ、"Your visit meant me a lot. Thank you, Masao."(君が来てくれたことは私にとってとても大きな意味があった。ありがとう、マサオ)と言った。今もはっきりとその感触を思い出せる。自分は泣きそうになったが、また来るからと言って部屋に入った。

 

Stanと奥さんのSusan、次男のJasonとその彼女と一緒に食事をしながら今後の予定などについても話した。スタンの周りにいる家族は皆、いつ命が終わるからとかそういうことを全く考えないで、ただただやれることを考え、具体的に行動に移していく、そのような計画の立て方だった。話している一人一人がどれぐらい実現性を頭の中に描いているのかわからない。だが間違いないのは、それぞれみんな一人一人が、Stanとの残された日々がこうであれば良いなという思いを伝えていたように思う。

色々な共同研究や行動については理想がどうなのかということはあまり大きな問題ではないように思う。それよりも、どのようなことをしたいと考えるのか、どのようであれば良いと思っているのか、具体的であることが重要だ。具体的な考えを研ぎ澄ませていって実際の行動へと移すのだ。その行動は、必ずしもうまくいくとは限らない。だが、うまく行かないとしても、そのようにして考えて起こした行動は何らかの示唆を残し、次の行動の基盤になっていく。これがいくつもの目標に向かって行動を起こす時の基本原則なのだと思う。

Stanはそのような力に極めて優れていた人だと思う。真面目さ、真摯さ、おごりのなさ、その人柄のすべてが多くの研究者に伝わればいいのにと思っていた。どんなに有名でも、恐ろしく人間性に欠ける人もいる。人間性によって人が評価されるわけではないが、その人間性によってどれだけ多くの人を巻き込むことができるかが決まるように思う。その意味においてスタンは極めて類まれな指導者であった。

 

54歳という若さで命を落としたことは本当に残念に思う。しかし、Stanの黎明期から共に時を過ごすことができた私は、とてつもなく幸運であったように思う。

このような機会を持てる人がどれだけいるのだろうか、またそのような機会がごく近くにあっても掴むことができない人たちが多くいる。幸運をつかむことのできない理由の多くは自分自身の中に原因があることが多い。自分の中の欲望、自己中心的な感情が、いろんなことを歪めてしまう。そして美しい統合体を形成することに失敗するのだ。

 

私は新潟大学時代の恩師である大星章一教授、Stanley J Korsmeyer 博士(共に享年54才)を年齢的にはるかに越えてしまったが、決して越えることができない人格、品性の完成は私自身の目標である。

現在、直腸がんを患い、再発による激しい痛みに襲われ、人生の終点に向きあっている。しかし、この終点近くにいながらも、前向きな気持ちを持てているのは、Stanley J Korsmeyer博士の教えに支えられているのだと思う。ボストン郊外にあるStanの自宅の周りを歩いた「ニューイングランドの春」から約20年たった。

私の肩をがっしりと抱きしめ、"Your visit meant me a lot. Thank you, Masao."と言ったStanの力強い抱擁、声は、20年後の今も、また、おそらく自分の死の直前までも、私自身ヘの励みになるのだろう。

 

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2006年、分子細胞治療の寄稿文として投稿した時は、Stanとの最後の交流について書こうにも、気持ちが高ぶらず、表現すことなく見送ったそうです。そのことが、長年気になっていたと言います。

この度、「20年目のニューイングランドの春」というタイトルで、文章に書き残すことができ、気持ちが和らいだと喜んでいました。

"Your visit meant me a lot. Thank you, Masao."と言ったStanの力強い抱擁、声は、いつまでも夫の心の中で生き続けていくことでしょう。

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次回は、節目の闘病記70回目です!