10歳のマリアのブログ

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夫のエッセイ集:私の研究履歴-MALT1遺伝子発見のバトル-a1-2

 

MALT1遺伝子発見のバトル

遺伝子の発見には論文には記載できないさまざまな背景と幸運が絡まりあっている。1980年代半ば以降の染色体転座の解析では、免疫グロブリン遺伝子を手がかりとした転座関連遺伝子の探索が競争となり、BCL1遺伝子(CCND1)、BCL2遺伝子、BCL6遺伝子が複数の研究グループによりあきらかにされたが、MALT1遺伝子の探索では免疫グロブリン遺伝子が関与していないため、そのような手がかりが無い状態で、手探りの遺伝子探索が行なわれた。

 

私たちがHUGO(Humane Genome Nomenclature Committee)と協議の上で、MALT1遺伝子と命名することになった遺伝子の発見に大きく貢献したのは、当時、私の研究室に研修生として在籍していた赤木智昭医師(弘前大学医学部第一内科大学院生:1996年4月から1999年3月)である。遺伝子探索の基点となったのは、そのころ、全世界的に進めら得ていたヒトゲノム計画であった。私たちが遺伝子探索を始める決心をしたのは、当時愛知県がんセンター病院臨床検査部にいた中村栄男博士の示唆による。中村栄男博士は、ドイツ、ヴューツバーグ大学のOtt博士らの報告に基づいて、t(11;18)(q21;q21)転座の重要性を示唆してくれた。遺伝子クローニングには大量の検体が必要で、大体は細胞株を用いて行なうことが多いが、MALTリンパ腫由来の細胞株は無い。今でもその状況は変わっていない。私たちの研究室には、研修生としていろいろな大学の大学院生に参加していただくが、2年ないし2年半で学位論文を作成することが、派遣先の教室との交換条件である。このプロジェクトは競争に負けると論文にすることが難しく、その意味では、必ずしも適切なプロジェクトではなかった。しかし、このプロジェクトを行なうことを決心させたのはKARPAS-1106という細胞株の存在であった。この細胞株は、イギリス、ケンブリッジのMedical Research Council (MRC)にいるAbraham Karpas博士が樹立したMediastinal B cell lymphoma細胞株で、18q21領域に転座切断点があり、かつ、BCL2は転座に関与していないことが報告されていた。以前より、Karpas博士とは個人的に親しかったので、その細胞株を入手することができた。

 

この細胞株があったため、たとえMALTリンパ腫の転座切断点関連遺伝子解明の競争に遅れをとっても、その切断点との位置関係を明らかにすることで、何らかの形で論文にはなると考えた。KARPAS-1106はMALTリンパ腫とは病型の異なるMediastinal Bリンパ腫由来だからである。研究に着手してしばらくして、多量に胸水浸出液を有するMALTリンパ腫患者の胸水検体も手に入った。この検体には典型的なt(11;18)(q21;q21)転座があり、FISH解析による検索に用いることができるようカルノア固定細胞も同時に作成することができた。

 

これらの条件が整い、京都府医大第3内科の谷脇雅史先生の研究グループとの共同研究を始めた。FISHを担当してくれたのは、谷脇先生の研究グループの田村明子先生である。研究を進めるに際してもう一人、忘れてはならない仲間がいる。現在、ピッツバーグ大学にいるGary Silverman博士だ。私がStanley Korsmeyer博士とともにWashington D.C.郊外、Bethesdaの米国国立がん研究所(NCI)から、セントルイスワシントン大学ハワードヒューズ医学研究所に移ってきて、半年位した頃、Silverman博士がKorsmeyer研究室に加わった。彼が加わった頃、イースト人工染色体を用いたヒトゲノムYACライブラリーを当時ワシントン大学にいたメイナード・オルソン博士が作成しつつあった。おそらく世界で最初にYAC libraryをスクリーニングし、BCL2遺伝子を含むYACクローンを単離した男である。ヒトゲノムプロジェクトが始まって、彼は染色体18番を他の2人と担当していた。後に乳児白血病転座関連遺伝子MLLのクローニングに用いられたYACクローンも、このライブラリーから単離されている。

 

私たちがMALT転座切断点のクローニングに着手したころ、Silverman博士はボストンのハーバード大学付属小児病院で研究グループを率いており、18q21領域にclusterしていることがわかり始めていたSerpin familyの仕事を進めていた。そのため、彼は、18番染色体のBCL2遺伝子近傍の連続してつながっているYACクローンの位置地図(YAC contig Map)を作成しており、それらはすべてお前が使ってよい(They are all yours)ということで全面的な協力が得られた。また、このころ、FranceのFondation Jean Dausset - CEPH研究所のYAC ライブラリーの位置情報もInternetで検索できるようになっていた。また、これらのYACライブラリーは日本の研究機関にも配布されていたが、インターネットで米国のResearch Genetics社から買うことができ、手配にかかる時間も2週間程度で、私たちにとって、時間的には最も早い入手方法であった。このような状況で、t(11;18)転座切断点の解析にとりかかった。谷脇先生もSilverman博士から手に入れたBCL2を含むYACクローンを用いたFISH解析で立て続けにBloodに論文を発表されていた頃であったように思う。このような形で始まった共同研究は、KARPAS-1106細胞株の18q21領域転座切断点を解明した論文として発表できたが、MALTリンパ腫の転座切断点とは異なっていた(Tamura et. al, Int. J. Cancer, 1998)。

 

そこを基点にFISH解析で転座切断点を含むYACクローンの探索に取り掛かった。その当時、どうしてもわからなかったことがあった。Silverman博士が作成したYACクローン位置地図では、Telomere側から並べたYACとCentromere側から並べたYACクローンがどうしてもつながらなかったのである。Silverman博士に聞いても理由はよくわからないといった。今思うとWalkingに用いたYACクローンの端末プローブがキメラとなっており、別の染色体に移行してしまうためなのか、あるいは反復配列を含んでいたためかもしれない。今も謎である。それらの問題点はあったが、あるクローンのシグナルが転座染色体で小さくなっているということを谷脇先生が電話で知らせてくださった。そこで、「よしっ、取りにかかろう」と、俄然力がでて、そのYACを用いてファージライブラリーを作成し、ヒトゲノム情報を持つファージクローンの大体の位置をYACクローンを用いたPulse field gel electrophoreshisによるサザン解析で解明した。そして、作成したMAPを基に、それらのファージの大体の位置を調べ、それを谷脇先生に送り、田村先生が患者検体で作成したカルノア(染色体解析用に固定した細胞液)で、FISH解析した。赤木先生はどう思っていたかわからなかったが(初めての経験だから、その感触がわからなくても無理はない)、私自身は、転座切断点を手にしたも同然と考えていた。あとは、穴の開いたジグソーパズルを埋めるだけで、自分たちが取れることは間違いなく、どこかのグループに先を越されることのないように、情報を得るように勤めた。つまり、ゴールの見えた最後の100メートル競争のダッシュに負けないようにするだけだと考えていた。

 

そのような気持ちでいたところ、いろいろな組み合わせで18q21のsplitシグナル(転座切断点の証拠)が得られないという電話を谷脇先生からいただいた。YACで見えていた小さなシグナルはキメラによるものかもしれないということであった。確か、この電話を受けたとき、すぐに赤木先生を部屋に呼ばなかったように記憶している。どう伝えればよいかということを考え、次はどうするかということを一晩か二晩考えていたと思う。その後、赤木先生を部屋に呼び、YACクローンは目的とする転座切断点を含んでいないことを伝え、今後どうするか考えてほしいと伝えた。その後、赤木先生は1週間くらい研究室に現れなかった。私自身にとっても、かなりのショックだった。しかし、このようなことは研究する上で時に遭遇することがある。

 

私自身にもとてもつらい思い出でであるが、同じようなことを経験している。1986年3月頃だったと思うが、NCIのコースマイヤー研究室で、BCL2のcDNAの塩基配列を決めつつあったとき、対象としていたcDNA断片が、間違ったクローン(mRNA由来でなくゲノムDNA断片由来)であることが明らかになった。約6ヶ月に及ぶ塩基配列を決める仕事が瞬間で吹き飛んだのである。当時は制限酵素地図をつくり、M13ファージにクローニングし、増やして精製し32Pを用いたサンガー法で塩基配列を決めるという、今考えると、気の遠くなるような方法をとっていた。今の人たちなら、このような4kb近くの塩基配列など、2週間もかからずに決めてしまうだろう。技術革新はいつも過去の仕事の価値を消し去ってしまう。

 

このときの間違いは私自身の無知が第一の原因である。前任者(Stanley Korsmeyer博士自身)から仕事を引き継いだのであるが、塩基配列を決める対象としたDNA断片はSUDHL-6とNALL-1の2種類のcDNAライブラリーから得たものであると聞いて引き継いだ。この間違いのそもそもの原因は、当時、同僚としてコースマイヤー研究室にいたある研究者の不適当な実験手技によるゲノムライブラリーとcDNAライブラリーのコンタミネーションであった。染色体転座t(14;18)のゲノムの転座切断点領域断片を含むファージクローンがcDNAライブラリーの中に混じっていたのである。転座切断点は4.3 kb断片であったので、insertが-4kb程度の cDNAクローンと間違えても無理はない。実際に起こったことは、技師のPaula Goldmanが作成したcDNAライブラリーに、すでにCellに発表していたゲノムファージクローンがごくわずか混入してしまったのである。今、思い返しても、怒りを覚えるほど取り返しのつかないミスであった。明らかにStanley Korsmeyer博士のせいではなかった。何の断りもなしに、勝手に人の試薬を使い、コンタミを起こした同じ部屋にいた研究者のせいだった。その研究者は実験室内でアイソトープの汚染も起こし、知らないうちに皆の白衣の袖がピーピーとガイガーカウンターを鳴らせたこともあった。開いていれば他の研究者の実験ベンチも使い、バッファー液がなければ、近くにあるものをお構いなしに使う。今ではそのような研究者には驚かなくなっているが、自分だけよければよいと考え、行動する人は長い目でみれば、うまくいくことはない。その研究者は、私たちがNCIを去って1年ほどした頃、研究を中断した。

 

Stanley Korsmeyer博士が間違いに気がついたその瞬間は私にもわからなかった。当時はX線フィルムを目で読みながら、手でノートに書いていったが、そのノートを手に持って、NCIのBuilding 10近くにあったコンピュータセンターに行き、Korsmeyer博士か私のどちらかがノートに書いてある塩基配列を読み(GATC)、どちらかがタイプするという恐ろしく原始的な方法であった。私は最初のゲノムのBCL2転座切断点の同定には参加していなかったので、間違いに気がつく能力はなかった。確か数回一緒にコンピュータに打ち込んでいったと思うが、ある日、「マサオ、大事な話しがあるので、部屋に来てくれ」といわれた。部屋に入っていくと、Korsmeyer博士は「マサオ、大変申し訳ないが、これまでシークエンスをしていたのは、cDNAではなく、ゲノム断片だ」と私に話した。間違いに気がついたのは、ゲノムライブラリー用ファージの塩基配列が出てきたことが決定的な証拠だったと思う。

 

私は話を聞いて状況を把握できたが、そのとき、「自分のことは仕方ないが、競争には勝てない可能性が高いけれど、それはどうするのか?」と聞いた。Korsmeyer博士は、「もう一度新しいライブラリーを作ってスクリーニングから始めるしかない。申し訳なかった。」と繰り返し私に誤った。実際に技師のPaula Goldmanが、翌日からmRNAの精製から始め、ライブラリーを作成するのを、いろいろと質問しながら、つきっきりで教えてもらった。間違ったクローンを無駄にシークエンスしたことは科学としては残念だったが、個人的には、二度と間違ってはいけない実験に最初から参加することができたのは、何のトレーニングもなしにいきなり分子生物学の研究室に参加した私にとっては、とても貴重な経験であった。

 

この6ヶ月くらいのロスはBCL2遺伝子本体の解明競争をやっていたKorsmeyer研究室にとっては大きな痛手となり、結果的に3番目にBCL2蛋白を解読したグループになってしまった。ウイスター研究所からの辻本先生のProc. Natl. Acad. Sci. USAの最初の報告についで、二番目はスタンフォードのMike Cleary博士のグループがCellに報告した。Korsmeyer博士の研究グループの報告としては、私の筆頭著者論文としてEMBOにJournalに3番目の報告として掲載された(Seto et al., EMBO J., 1889)。辻本先生に遅れること半年くらいであった。

 

MALT1のバトルというタイトルなのに、なぜ、BCL2のことを書くかというと、一回の失敗が、上記のような決定的な差を生むことを知っていただきたいからである。Korsmeyer博士は先行するグループの情報をいつもどこからか聞いて知っていた。どうして知りえたのか、Korsmeyer博士が亡くなってしまった今では、知りようもないが、彼のように、幅広い人脈と敵を作らない穏やかな性質、助けてあげたいと周りに思わせる人望があれば、すべての情報が集まってくるのだろう(2005年3月31日、日本時間4月1日未明永眠)。Korsmeyer博士は、私に自分たちがクローニングした塩基配列決定の実験を続けさせ、さらに、その脱制御機構についても検討しようと私に実験を求めた。その結果、論文という形を取れたのだと思っている。「発見は先行したものが圧倒的に楽で、後から追いかけるものは、より多くを求められ、Impact factorでは、より低くなる傾向がある。

 

MALT1のクローニングに関しては、当時、私が知っていただけで、ハーバードのSklar博士のグループ、ニューヨーク・スローンケッタリング記念がんセンターのChaganti博士のグループ、それから、MALTリンパ腫のt(11;18)転座の核型を詳細に記載したドイツ、Wurtzberg大学とハイデルベルグにあるドイツがん研究センターの共同研究グループの3ヶ所であった。私たちがKARPAS-1106の論文を出した2ヶ月後くらいにスローンケッタリングがん研究所のChaganti博士のグループが転座切断点を発表した。それは私たちが目的としている転座切断点ではないことが、私たちのそれまでのデータで明らかだった。

 

MALT1転座切断点のクローニングで間違ったクローンを追求していることが判明し、赤木先生研究室に現れなくなって約1週間くらいして、赤木先生が研究室に再び現れた。私がこれからどうするかをたずねたところ、「やめようかとも思いましたが、やはり、続けたい」ということで、再び、ほぼ振り出しに戻る感じで、YACクローン探しを始めた。今度はフランスのCEPH研究機関の作成したYACライブブラリーをInternetでしらべ、購入して、FISH解析を繰り返した。再出発の研究を始めてから3ヶ月ほどたったころ、転座切断点を含むYACクローン(y789F3)を見出すことができた。そのクローンを見出す直前か直後くらいに、福岡で開かれた国際婦人科学会に招待されて来日していたSilverman博士に会いに行った。福岡ドームの隣にあるホテルで、食事をしながら、昔の同僚の消息や活躍ぶりなどとともに、MALT1転座切断点の単離の方法についても話し合った。転座切断点を含むYACクローンを詳細に解明するためのBACクローンをスクリーニングする方法、また、他の研究グループ、特にハーバードのSklar博士らの18番染色体切断点のクローニングについての研究に関する情報を得た。そのとき彼は、Sklar博士たちの研究グループが転座切断点を含むYACクローンを手にしているということを教えてくれた。どれくらい前かと聞くと、最近の話ということであった。

 

Silverman博士から教えてもらった方法で、YACクローンに含まれるBACクローンの単離を行った。RPMI(ロウズウェルパーク記念研究所ゲノム研究センター)のBAC/PACライブラリーをスクリーニングしたのである。実際には、ナイロンメンブレンが送られてきて、それをスクリーニングし、シグナル陽性クローンをインターネットで注文する方法である。このライブラリーはヒトゲノムプロジェクトに用いられたことでも有名なライブラリーである。それらのライブラリーから得たBAC/PACクローンを用いて、再び、FISHを行い、転座切断点領域を狭めていった。その結果、転座に伴う欠失領域があることを見出し、そのゲノムマップとともにt(11;18)転座切断点について論文報告した。この論文が、MALTリンパ腫に関連するt(11;18)転座切断点を世界で最初に記載した論文となった(Akagi et al., Genes, Chrom & Cancer, 1999)。遺伝子の本体を明らかにするまで、待たずに、途中経過で論文を出したのは、ハーバードのグループが私たちに少し先行して、転座切断点を含むYACクローンを手にしている情報を聞いていたからである。

 

論文投稿後、遺伝子探しのための研究をさらに続けた。欠失が認められたので、がん抑制遺伝子の可能性も考慮する必要があった。この段階で、私たちにはもうひとつの幸運に恵まれた。ゲノム領域からmRNAをコードする領域をどうやって探せばよいかということについて、英国ケンブリッジにあるMRC(Medical Research Council)のテリー・ラビッツ博士に相談した。e-mailで問い合わせたところ、彼の昔のポスドクを紹介してくれ、その人から転写単位発現解析ベクター(エキソントラッピング法)を手に入れた。それを用いて、いくつかmRNAの断片を見出し、mRNAシグナルを片端から調べることを繰り返した。また、BAC/PAC断片を用いたサザン解析法により、遺伝子再構成を検出するDNA断片を調べた。

 

Silverman博士と博多のシーホークホテルで会ってから8ヶ月くらいだった頃、t(11;18)を持つMALTリンパ腫検体で再構成バンドを見つけた。赤木先生が部長室にきて、これをどう思うかと見せてくれたフィルムには、5検体のうち2検体でジャームラインバンドとは長さの異なる再構成バンドが一本見えた。しかも、2人の検体で長さが異なる再構成バンドであったため、見たとたんに、転座切断点領域断片をほぼ手にしたことがわかった。そこから、さらにcDNAクローニングに着手した。まもなく、あるcDNA断片がノーザン解析法により、t(11;18)転座を有する患者5症例すべてで、サイズの異なるシグナルを検出するものを見出した。その異常シグナルの長さは患者間で異なっていたため、キメラmRNAを形成することおよび転座切断点が患者間で異なるということが明らかになった瞬間だった。その年の(1998年)のアメリカ血液学会総会はサンディエゴだったかニューオーリンズだったかはっきり覚えていないが、情報収集と研究成果の発表をかねて参加した。そのとき、Dierlam博士が、t(11;18)転座切断点付近をFISH解析したデータをポスター発表で報告していた。その発表を見たら、私たちの転座切断点と同じところであった。赤木君がDierlamに聞いたら、「遺伝子はまだ取れていないといっていました」と言うので、私は「そんなわけはない。遺伝子を取っていない限り、あそこまで詳細な遺伝子地図は発表しない」と答えた。実際のところ、ASH Meetingの1ヵ月半後に、遺伝子の転座切断点とキメラ遺伝子構造について、Rapid communicationとしてBloodに投稿していたことが、あとで判明した。

 

私たちは、ASH meetingから帰ってきて、cDNAの塩基配列の決定を急いだ。この結果をLuganoで開かれる国際リンパ腫会議で報告することにし、抄録を1月半ばに送った。ほぼ蛋白構造が明らかになった頃、英国のRabbitts博士が日本に招かれ、愛知県がんセンターにも立ち寄ってくれた。1999年の3月末だったように思う。彼と私の部屋で1時間くらい乳児白血病転座関連遺伝子MLLの白血病発症に関する機能について話をした。そのときに、自分たちはMALTリンパ腫の新たな転座関連遺伝子を単離していて、どのような形で発表するか迷っていること、他の研究グループがいつ論文発表するかわからないことをはなし、どうしたらよいか相談したところ、自分なら、「現時点のデータで投稿して、 reviseに備えて仕事を進めていく」との示唆を得た。論文の投稿先として、ASHでのDierlam博士らの発表があったのでBloodではどうなるかわからない要素があったため、Oncogeneに投稿することに決めた。彼に相談する前に、HUGO Gene Nomenclature Committeeに部分的な塩基配列を送り、キメラ遺伝子であることがわかっていることも伝えところ、18番染色体上の遺伝子をMALT1、11番染色体上の相手遺伝子をMALT2にするように指示が来た。塩基配列をGeneBankに登録し、すぐに投稿した。最初の投稿の時(4月19日受理)には蛋白翻訳領域の最初のコドンであるATGがまだ明確にはなっていなかった。投稿して、しばらくして、ATGコドンに間違いないと考えられる配列を見出した。cDNAもその先にはあまり伸びないことも、真のATGであることを示していた。

 

結局、投稿後1ヵ月半ほどで、Minor revisionが帰ってきが、そこにATGを含む配列を加えて、3日で再投稿し、6月17日にacceptされた。Acceptされたときに、重要な論文なので早く掲載してくれるようにEditorial Officeに連絡し、8月号に載せてもらえることになったが、途中で、出版社との連絡ミスのため、予定されていた掲載号には発表されず、1ヶ月遅れの発表となった。後でわかったことだが、Dierlam博士らは、6月1日号のBloodに掲載され、MLT遺伝子として発表した。おそらく、HUGO Gene Nomenclature Committeeに登録していなかったため、私たちのMALT1という名称が正式な遺伝子シンボルとして採用されている。私たちの論文発表後2ヶ月して、ハーバードのSklar博士らの研究グループがCancer ResearchにMALT1という名称で、同様の結果を発表している。

 

この一連のMALT1に関する発見の過程は、あくまでも、私たちから見た発見の過程である。他の研究グループからの視点では、異なった競争の姿が描かれるのだろうと思う。振り返ってみると、MALT1遺伝子発見に至る途中は、谷脇先生との共同研究のおかげで、最初のYACクローンの単離競争ではリードしていたが、マラソン競技の最後の100メートルダッシュで、Dierlam博士らに抜かれたというのが、MALT1単離競争の正確な記載である。Korsmeyer博士にまったくの初期から分子生物学的手法を学んだが、その経験は十分に生かされたように思う。MALT1解明競争には完全には勝ちきれなかったことに対して、他の人たちから見ると、残念に思われるかもしれない。確かに残念ではあったが、私自身が今、振り返ってみた感想では、私たち研究者は競争に勝つことが目的ではなく、競争という手段を用いることにより、新しい発見を加速し、それが病気で苦しむ多くの患者さんの利益につながるのではないかと考えている。BCL2の単離競争の時と同様、MALT1の解明競争でも、ほぼ同時期に、3つの研究グループが同じ遺伝子に行き着いた。私たちは弱小研究グループではあったが、何らかの貢献はできたのではないかと考えている。私だけが持っている感想かもしれないが、Stanley Korsmeyer博士や彼を取り巻くさまざまな人たちが、研究に参加してくれ、ともに明らかにしたという意識が強い。今は亡きStanley Korsmeyer博士に深い感謝の念をささげたい。