10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

全文「Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴」特別寄稿続編

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Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴

分子細胞治療 vol.5 no.3 2006 からの引用

はじめに

Stanley Jason Korsmeyer博士は免疫グロブリン遺伝子を用いたnull-cell leukemiaの解析で世界の注目を集め、ついで、濾胞性リンパ腫に特徴的な染色体転座 t(14;18)の解析から、BCL2遺伝子の発見に関与した。アポトーシス(細胞死)にかかわる分子が、腫瘍化にかかわることを直接的に証明し、MYCがん遺伝子との関与も明らかにした。その後の、アポトーシス関連分子の発見と機能の探索については、他の研究グループの追随をゆるさなかった。

私は、Korsmeyer博士の日本人初のfellow(※1)であり、彼にとっては7番目のfellowだった。StanはSt. Louisに12年間とどまった後、Harvard大学のDana-Farber研究所(※2)Sidney-Farber Professorship(※3)の職を提示され、1998年に移った。Dana-Farber研究所に移り、彼が亡くなるまでの8年間に、私は数回、彼の研究室を訪ねた。Bostonやその近くに出張するたびに彼の研究室を訪ね、いつも、彼の研究室にいる十数人のfellowたちのほとんどと、彼らが現在行っているprojectについて議論をさせてもらった。大体1日半程度使うが、いつもまでも飽きないで、ついつい時間を超過してしまう。研究室の雰囲気は、緊張感はあるが、多くの研究室で見られがちな、奴隷のように働かされているfellowは一人もいない。私もそうであった。それどころか、彼が提示するprojectでも、気に入らないと平気で拒否できるし、私自身も拒否したことがある。拒否したからと言って、特別視されることはなく、別のprojectについて納得いくまで話し合うことができる。StanはFellowたちから愛され、尊敬されていた。Fellowたちからは、自分たちのことを真剣に考えてくれるという信頼感を得ていた。彼の人柄は信じがたいほど優れていた。

肺がんの発病とFellowたちへの告知

Stanは、2003年12月の上旬に、自分が肺がんになっていることを知った。それをかつてのfellowたちにも伝えたが、その伝え方は、いかにも彼らしかった。かつてのFellowたちに、日本時間の2004年1月24日午前2時すぎ(US Eastern time (Boston) 23日午前11時すぎ)に同時にemailを出した。55名のあて名には、私が知っている人たちが半分ほどいた。Stanの研究室で彼の研究室のレベルとしてはそれほどよい論文を作れず、あまりHappyな状態で研究室を離れた人たちも含まれていた。

そのemailを下記する。(※翻訳は、こちら

 

差出人: Korsmeyer, Stanley J. [Stanley_Korsmeyer@dfci.harvard.edu]

送信日時: 2004年1月24日土曜日 2:14

宛先: 55名

件名: personal message

 

Dear Alumni,

 

I am writing to let you know that I have developed a substantial medical illness.  I haven't found an ideal way to communicate this, so I'll give a brief summary.  On December 1st, I presented with acute R pleuritic chest pain and appeared to have a RLL pneumonia with a pleural effusion.  I took antibiotics and felt well, but a follow-up CXR indicated the effusion and infiltrate had not resolved.  I regret to inform you that the work-up has revealed Adenocarcinoma, and while I am a non-smoker, it appears to be of lung origin.  They will drain and stabilize the pleural effusion today, and then chemotherapy will follow. 

 

I apologize for the shock of this news and the distress I know this causes you.  Susan, Jason, Evan and I have always regarded you as family, and we will derive extraordinary strength from your continued support.  I still feel quite fit now and am in exceptionally good hands at the DFCI.  I regret that the hectic pace of the work-up did not allow time for me to convey this person to person, but did want you to hear it from me.

 

Love to all,

Stan

 

自分は深刻な病気になったが、どう伝えていいかわからないので、事実を知らせるとはじまるこのemailを、私は彼が発信してから10分以内に受け取っている。私の自宅のコンピュータは10分ごとにメールサーバーにアクセスするからである。このとき、私は何をしていたかよく覚えていないが、コンピュータに向かって何かをしていた。この手紙を読んで、あまりのことにショックを覚え、動転した。翌日から1ヶ月ほどの間に、かつてのfellowたちのemailが世界のいろいろなところから飛び交った。 

肺がん治療中のStan

彼が病気になってから、早く見舞いに行きたいと思っていたが、なかなか機会がなく、ようやく発症後6ヶ月たった5月の連休にボストンに行った。そのときまでには、いろいろなfellow達や秘書から、彼の治療は順調で、研究室で仕事をしていることを聞いていた。ボストンのローガン国際空港について、すぐにDana-Farberがん研究所(※4)の彼のOfficeに行った。彼は研究室のfellowとdiscussionしていたので、外で待っていた。しばらくすると、彼が出てきて、いつものように、からかうように私に呼びかけた。「Hey, Professor Seto! Welcome! How are you?」。Officeに入って、彼は現在の自分の様子を5分ほど話し、あとは、すぐ仕事の話を始めた。話の後、「明日、研究室のmeetingがあるから、そこに出ないか?」と聞いてきたので、「Sure!」と答えた。翌日、ラボmeetingのためにStanと一緒に部屋に入っていくと、私をNCI(※5)からのfellowで、Wash U(ワッシユウ:アメリカの研究者たちはSt. LouisのWashington大学をこのように呼ぶ)の研究室の立ち上げに参加してくれたとStanは皆に紹介した。その後、つづけて、Dr. Setoも来てくれたので、今の自分の状態を説明するといって、白いボードに向かって書きながら、自分の状態を説明し始めた。

「自分は肺がんのStage IVで発症した。見つかったときには、胸水にがん細胞があり、肝臓、骨に多発性の転移巣があり、脳に3箇所、転移していた。Expression profiling(※6)も行いそのcharacterization(※7)もした。最近、名古屋のグループとアメリカのグループで、EGFリセプターに欠失がある患者にイレッサが有効だと報告されたが、自分の肺がんにはその欠失があり、投与を受けたところ、すばらしく反応した。今は、PETで調べたところ、肝臓と骨の転移は消えたが、まだ脳に小さなスポットが3箇所あり、ガンマナイフ(※8)を使って治療するかどうか、近く主治医と相談する。そういうわけだから、状況はすごくいい。」と話を終えた。その後、何事もなかったように、いつものようにfellowの二人が研究状況を発表し、活発な意見が戦わされた。

Fellowたちの千羽鶴の祈り

その日の夜、セントルイスのWash Uに職を得て、彼の研究室を離れることになっているfellowで夫妻のDr. James HsiehとDr. Emily Cheng夫妻を招いて、夕食会があった。セントルイスのいろいろな話や、相談に乗ってくれそうな優秀な人を紹介したり、住居はどこがいいかなどを話し合っていた。私自身も2年間をWash Uで過ごしたので、一緒に楽しく話しをした。

夫妻が帰った後、ワインを飲みながら、Stanと奥さんのSusanと私の3人で話をしていると、突然Susanが、Masaoに見せたいものがあるといって、Stanの自宅のOfficeに私を連れて行った。部屋に入ってから「これを見てちょうだい」といわれて、壁を見ると、そこにはすだれ状に吊り下げられた千羽鶴(※9)が飾ってあった。

Susanは「Stanが病気であることがわかったとき、研究室の日本人技師(Mari Nishino:現Univ. Calf. San Franciscoの学生 )が、研究室の皆を集め、鶴の折り方を教えて、一晩で折り上げた」と言った。彼女は続けた、「Isn’t this wonderful!(素晴らしいでしょう!) 」。 Stanは「It’s overwhelming!(圧倒されるよね!)」といった。私は色とりどりの千羽鶴を見ながらStanとSusanの言葉を聞いて胸がいっぱいになり、しばらく言葉が出なかった。

私はその千羽鶴を見て、初めて、千羽鶴には科学を超えた「人々の祈り」が込められていることを知った。効果や象徴という意味よりも、Stanの回復を願う研究室の皆の気持ちが込められていた。これまで、私はいろいろなところで千羽鶴を目にした。原爆ドームでも見た。病室でも見た。何回も目にした。しかし、私は、Stanに贈られた千羽鶴を見て初めて、千羽鶴にはそれを折った人々の強い祈りが込められていることを知った。「深い悲しみの中にも何らかの希望を願う祈るような気持ち」が込められていることを知った。これまで目にしてきた千羽鶴にこめられた祈りをまったく知らなかったことを恥じた。

Stanとその仲間たちによって、これまで千羽鶴を折り続けた数知れない日本人の祈りを教えられた。

部屋から出てきて、Susanと目があうと、また胸がいっぱいになり、涙がとめどなく流れた。彼女の肩に顔をうずめ、泣いた。Susanも泣いた。私は、「千羽鶴を折るときに参加したかった」といいながら、泣いた。Susanは「I know, Masao. I know.」といって涙を流した。

Stanのそのときの表情を見ていないが、感情がおさまり、振り向くと、Stanはいつものように温かく、静かな表情で私たちをみていた。

Stanの死とその後

Stanはこの5月の見舞いの後、ほぼ一年後に亡くなった。死の一ヵ月半前にも、見舞いに行った。彼は養生をしながら、最後まで仕事を続けていた。亡くなったのは2006年3月31日(日本時間4月1日未明)、多くのfellowたちが世界中から葬儀に参加した。彼らはStanの人柄に取り付かれ、忘れられないのだ。

かつて在籍したWash Uでは友人のTimothy Ley博士の呼びかけにより、Stanley J Korsmeyer Memorial Lectureship基金が作られ、死後 約7ヵ月の12月15日にStanley J Korsmeyer 記念講演会が開かれた。Dana-Farber研究所ではStanley J Korsmeyer Professorship(※10)を作ろうと奥さんのSusanが努力を続けている。

 

 

【注釈】

fellow(※1)研究室で、指導者について学ぶ研修生。当時の夫は、fellow(研修生)兼、associate(助手)として、Stanの研究室で研究に従事。

Dana-Farber研究所(※2)ダナ・ファーバー癌研究所。アメリカ国立癌研究所に指定されたアメリカ国立癌研究所指定癌センターの一つである。

Sidney-Farber Professorship(※3)ダナ・ファーバー研究所の教授職(シドニーファーバー教授職と呼ばれる)。

ダナ・ファーバー研究所の元となった小児病理学者シドニー・ファーバーにちなんで付けられた職。原題の化学療法の父とみなされるシドニー・ファーバーは、他の悪性腫瘍に対する他の化学療法剤の開発につながった白血病と戦うために、葉酸拮抗薬を使用した。

Dana-Farber研究所(※4)ダナ・ファーバー癌研究所。アメリカ国立癌研究所に指定されたアメリカ国立癌研究所指定癌センターの一つである。

NCI(※5)NCI(米国国立がん研究所 National Cancer Institute)は、米国保社会福祉省(HHS, United States Department of Health and Human Services)を構成する11の機関のうちの1つである米国国立衛生研究所(NIH, National Institutes of Health)の一部。1937年の国立がん研究所法により設立された米国政府のがん研究のための主要機関。

Expression profiling(※6)分子生物学の分野では、遺伝子発現プロファイリングは、細胞機能の全体像を作成するために、一度に数千の遺伝子の活性を測定することです。これらのプロファイルは、たとえば、活発に分裂している細胞を区別したり、細胞が特定の治療にどのように反応するかを示したりすることができます。

characterization(※7)特徴[特色]づけ

ガンマナイフ(※8)正式には「ガンマナイフによる定位放射線手術」と呼ばれます。ガンマナイフは、放射線の一種であるガンマ線が、約200個の細い照射口から正確に一点に集中するよう作られた治療機器で、脳腫瘍など主に脳疾患の治療に使用されます。

すだれ状に吊り下げられた千羽鶴(※9)

 

Stanley J Korsmeyer Professorship(※10)奥さんのSusanの努力の甲斐あって、3年後に、Stanley J Korsmeyer教授職が作られた。賛同した多くのかたから資金が寄せられ現在も、続けられている。

 

 

エッセイ内の写真

 

 

 

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