夫の現役時代に投稿したエッセイ集
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Stanley J Korsmeyer 博士からの贈り物 前編
Stanley J Korsmeyer 博士からの贈り物 後編
Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴(No.1 肺がんの発病とFellowたちへの告知)
Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴(No.2 肺がん治療中のStan)
Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴
分子細胞治療 vol.5 no.3 2006 からの引用
このエッセイは、3つに分けてご紹介しています。
No.1 肺がんの発病とFellowたちへの告知
No.2 肺がん治療中のStan
No.3 Fellowたちの千羽鶴の祈り
No.3 Fellowたちの千羽鶴の祈り
分子細胞治療 vol.5 no.3 2006 からの引用
Fellow たちの千羽鶴の祈り
その日の夜、セントルイスのWash Uに職を得て、彼の研究室を離れることになっているfellowで夫妻のDr. James HsiehとDr. Emily Cheng夫妻を招いて、夕食会があった。セントルイスのいろいろな話や、相談に乗ってくれそうな優秀な人を紹介したり、住居はどこがいいかなどを話し合っていた。私自身も2年間をWash Uで過ごしたので、一緒に楽しく話しをした。
夫妻が帰った後、ワインを飲みながら、Stanと奥さんのSusanと私の3人で話をしていると、突然Susanが、Masaoに見せたいものがあるといって、Stanの自宅のOfficeに私を連れて行った。部屋に入ってから「これを見てちょうだい」といわれて、壁を見ると、そこにはすだれ状に吊り下げられた千羽鶴(※1)が飾ってあった。
Susanは「Stanが病気であることがわかったとき、研究室の日本人技師(Mari Nishino:現Univ. Calf. San Franciscoの学生 )が、研究室の皆を集め、鶴の折り方を教えて、一晩で折り上げた」と言った。彼女は続けた、「Isn’t this wonderful!(素晴らしいでしょう!) 」。 Stanは「It’s overwhelming!(圧倒されるよね!)」といった。私は色とりどりの千羽鶴を見ながらStanとSusanの言葉を聞いて胸がいっぱいになり、しばらく言葉が出なかった。
私はその千羽鶴を見て、初めて、千羽鶴には科学を超えた「人々の祈り」が込められていることを知った。効果や象徴という意味よりも、Stanの回復を願う研究室の皆の気持ちが込められていた。これまで、私はいろいろなところで千羽鶴を目にした。原爆ドームでも見た。病室でも見た。何回も目にした。しかし、私は、Stanに贈られた千羽鶴を見て初めて、千羽鶴にはそれを折った人々の強い祈りが込められていることを知った。「深い悲しみの中にも何らかの希望を願う祈るような気持ち」が込められていることを知った。これまで目にしてきた千羽鶴にこめられた祈りをまったく知らなかったことを恥じた。
Stanとその仲間たちによって、これまで千羽鶴を折り続けた数知れない日本人の祈りを教えられた。
部屋から出てきて、Susanと目があうと、また胸がいっぱいになり、涙がとめどなく流れた。彼女の肩に顔をうずめ、泣いた。Susanも泣いた。私は、「千羽鶴を折るときに参加したかった」といいながら、泣いた。Susanは「I know, Masao. I know.」といって涙を流した。
Stanのそのときの表情を見ていないが、感情がおさまり、振り向くと、Stanはいつものように温かく、静かな表情で私たちをみていた。
Stanの死とその後
Stanはこの5月の見舞いの後、ほぼ一年後に亡くなった。死の一ヵ月半前にも、見舞いに行った。彼は養生をしながら、最後まで仕事を続けていた。亡くなったのは2006年3月31日(日本時間4月1日未明)、多くのfellowたちが世界中から葬儀に参加した。彼らはStanの人柄に取り付かれ、忘れられないのだ。
かつて在籍したWash Uでは友人のTimothy Ley博士の呼びかけにより、Stanley J Korsmeyer Memorial Lectureship基金が作られ、死後 約7ヵ月の12月15日にStanley J Korsmeyer 記念講演会(※2)が開かれた。Dana-Farber研究所ではStanley J Korsmeyer Professorship(※3)を作ろうと奥さんのSusanが努力を続けている。
【注釈】
すだれ状に吊り下げられた千羽鶴(※1)
Stanley J Korsmeyer 記念講演会(※2)
Stanley J Korsmeyer Professorship(※3) 奥さんのSusanの努力の甲斐あって、3年後に、Stanley J Korsmeyer教授職が作られた。賛同した多くのかたから資金が寄せられ現在も、続けられている。
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夫は、この「Fellow たちの千羽鶴の祈り」に書かれたエピソードが、一番心に残っていると言います。Stanの奥さんのSusanが披露してくた千羽鶴、それをみて感極まって涙する夫、それを優しく包むように側にいたStanの姿は、これからも夫の心の中で色あせることはないでしょう。
私も、このところを読むたびに涙がこぼれてきます。たくさんのFellpw たちの一人一人の願いと祈りが込められた千羽鶴、Stanの奇跡的な回復を願うも、避けられない別れも感じつつ折り上げたのだと思います。
このエッセイを読み、思い出したことがあります。Stanのお見舞いから帰国した夫が、「我が家でも千羽鶴を折って、Stanに届けよう。」と提案して家族皆で折った記憶です。
当時、娘は他県の大学に通っており、千羽鶴のことを伝えたところ、せっせと折って沢山届けてくれました。また、高校生だった息子は、初めての折り鶴にも熱心に取り組んでいました。その時の会話を今となっては思い出すことはできませんが、折っていた時の写真が残っています。心を込めて折っていた様子が感じ取れます。
息子は、ミズーリ州セントルイス市のBarnes-Jewish Hospital で生れました。Stanは、この病院で臨床医もしており、忙しい仕事の合間を縫って、病室まで訪ねて来てくださいました。生れたばかりの息子を抱き上げてくださった笑顔の写真を見て、感慨深いものを覚えます。
Stanの奥さんの努力が実って、亡くなった3年後に、Stanley J Korsmeyer Professorship(教授職)ができたそうです。現在もその研究室で研究を続けている多くの科学者がいます。Stanが亡くなっても、彼の業績と人柄はいつまでも多く人々に留まり、これからも志をついだ研究者が世界中で活躍していくことでしょう。そして夫も、Stanの影響を受け、研究を続けることができました。
心に浮かんだ聖句があります。
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。ヨハネ12:24
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次回は、次のエッセイへと続きます。
*『リンパ腫研究の現状と未来への展望』
日本リンパ網内系学会50周年記念誌発行