10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

「Stanley J Korsmeyer 博士からの贈り物 後編」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第59回~

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この続きは、次から

Stanley J Korsmeyer 博士からの贈り物 後編

分子細胞治療 vol.5 no.2 2006 からの引用

 車が盗まれて3週間ほど過ぎた雨が激しくふる日のことだった。私は、助手席に、篠原信賢博士(※1)を乗せてのNCIのBuilding 10に向かっていた。George Town Roadから左に曲がって、NCIの構内に入っていく舗装されてない道に入って行った。激しい雨のためところどころに水溜りができていた。その道をゆっくりと車を走らせていると、前方に、オレンジの雨合羽を着て、自転車で私たちと同じBuilding 10方向に行く人の後姿が見えた。水をはねないように、スピードを落として通り過ぎようとして、その人を見たら、Stanだった。自分は雨合羽を着て自転車で通い、その横を彼のfellow(※2)である私が、彼の車に乗って通り過ぎる…。彼は私たちに気づかなかった。

 駐車場に車を置いて研究室に行き、彼の部屋に入って、話した。「自分が車に乗ってあなたが自転車に乗っているのはfairではない」というと、Stanは自分は、「何でもないから」といった。私は「これはよくないから、新しい車を買いたい」といって研究室を後にした。私は、その日のうちに保険会社に連絡をとり、車を買いに行った。色々なCar dealerを回り、Nissan Sentraを買った。確か1万ドルくらいだったと思う。当時は1ドルが240円だったので、fellowにとっては安い買い物ではなかったが、自分はこれで、Stanに迷惑をかけなくてすむと安心したことを覚えている。

 車の契約をしたあと、駐車したところに戻ると、Stanの車の側面に大きくえぐられたような車にこすられた跡があった。車を買って安心したのもつかの間、またしても、とんでもないことになったと、彼に連絡を入れると、Stanは「車には乗れるか? 迎えに行こうか?」と言った。私は、「車は乗れるけれど、自分が修理費を払いたい」というと、「保険をかけているから大丈夫だ」といって取り合わなかった。Stan、技師のポーラ、ウイーン大学から来ていたウィンフリード(現在(※3)はウィーンにあるGraz大学医学部免疫リューマチ科主任教授)と私の4人でセントルイスのWashington大学ハワードヒューズ医学研究所に行くまでの約9ヶ月間、その車を修理することなく乗り続けていた。車の傷は大きく、扉も開けづらく不便なはずなのに修理をしなかった。この盗難事件については、彼と奥さんのSusanのあいだで、この20年の間、何回も話題にしたが、修理をしなかった理由は聞けないままになってしまった。修理をすると、私に心の負担をかけると思ったのか、本当に、何でもなかったのか今でもわからない。

 自分は雨に打たれながら雨合羽を着て自転車で通い、その弟子である私は彼の車に乗って追い越していく場景…。Stanが33歳の時のことである。

 この光景は今も私の中から消えることはない。「自分はこのような人間であることができるか…。」という思いが消えることはない。

 

 これはStanから私へのとても切なく、美しく、同時に苦しく、また言葉で言い尽くすことのできない大きな贈り物であったと思っている。彼は、多くのプレゼントくれたが、そのひとつでさえも、私は私の親しい人たちにさえ十分に伝えることができない。

 

【注釈】

  • 篠原信賢博士(※1) 当時、NCIで研究をしていた先輩医師。
  • fellow(※2) 研究室で、指導者について学ぶ研修生。当時の夫は、fellow(研修生)兼、associate(助手)として、Stanの研究室で研究に従事。
  • ウィンフリード(現在(※3)はウィーンにあるGraz大学医学部免疫リューマチ科主任教授)2023年現在も、継続。

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このエッセイは、音声入力のソフトを利用して文字起こしをしました。音声入力をしながら、最後の部分で胸が熱くなり、涙がこぼれてしまいました。この車の盗難事件とそれに続くエピソードのことは、夫から直接教えてもらった記憶がありません。40年近く経った今、このエッセイを通じて知ることになりました。

当時、私は娘の出産を控え、山形県の実家に里帰りしていた時期と重なります。遠く離れたアメリカの地で、心温まる気遣いに溢れた恩師の元で、留学生活がスタートできたことを知りました。感謝の気持ちで一杯です。

Stanに、会うことができたら、「大変お世話になりました。ありがとうございます!」と、直接お礼を申し上げたいところですが、彼はすでに地上にはいない存在です。夫のエッセイ集にあるように、Stanは残された者に大きな贈り物を残してくれたのだと思います。

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次の写真は、ボストン郊外ニューイングランドの自宅近辺を愛犬と散歩するStan。

 

私は、夫の留学から4か月後に、生後間もない娘を連れアメリカに行き、家族3人の生活がスタートしました。バーベキューにご自宅に招かれた時に、このバスケットのリングで遊んだように思います。

次回は、エッセイの続編へとに続きます。

*『Stanley J Korsmeyer 博士の肺がんと千羽鶴
分子細胞治療 特別寄稿・続編 先端医学社発行