10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

私を創ってくれた「山形」の思い出

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「出身は山形です。」とお話しすると、10年ほど前は「朝ドラのおしんの山形ですね。」とよく言われました。

NHK連続テレビ小説おしん」でとても有名になり、「おしん」と言えば「山形」と結びつくほどの知名度になったのは驚きです。

思い出の写真

木登りが得意で、次の写真の中央にある木にもよく登って遊んでいました。今では「木登りは危ない」と禁止されていることがほとんどだと思いますが、私の子供の頃は木登りで自然に体が作られた時代だったと思います。

 

娘や息子が幼い頃は、夏になるといつも実家に帰省して、姪に遊んでもらったものです。のどかな田んぼが広がる一本道、自転車で遊ぶ姪と娘。車がめったに通らないので安全です。

 

家庭菜園としてはかなり広い畑もあります。当時はおもに母が野菜を作っていました。味がとても濃くおいしかったように思います。子供たちもピーマンやキュウリ、人参、トマトがおいしいとモリモリ食べていました。今でもおいしかった思い出を語ってくれます。

 

写真を見ていると、子供の幼い頃、そして自分自身の幼い頃が思い出され、懐かしい気持ちになります。

高校生まで山形に住み、大学からは県外に住んでいましたが、私の基礎を創ってくれたのは間違いなくふるさと山形です。のどかな環境と優しく見守ってくれた両親、姉、兄の家族の絆が支えとなって今があると、感謝の気持ちでいっぱいになります。

兄の持病

先日の記事ふるさと「山形」の兄を公開した後、実家に近況報告を兼ねて手紙と最近の写真を一緒に送りました。嬉しいことに、兄と義姉から電話があり、久しぶりの声に懐かしさがこみ上げてきました。

実家と遠く離れていると特に連絡をすることもなく瞬く間に時間が過ぎてしまいます。今回は、息子が結婚したことの報告も兼ねていたので、兄と義姉も喜んでくれました。

めったに会わない兄と義姉でも、声を聞くと一気に距離が縮まり、色々なことが思い出されます。

電話の中で、兄と義姉は夫のがん闘病生活を心配してくれました。兄と義姉も持病を抱えています。

兄に、「あんちゃ あんばい なじょだ?(兄さん 体調はどうですか?)」と尋ねると、

「あっちもこっちも 悪いどころばっかしだ(悪いところばかり)。

おやじは77歳で あっちにいったから(亡くなったから)、

おれも あど5年ぐらいしか生きらんにぇ(あと5年ぐらいしか生きられないかも)。」

と、冗談とも本音ともつかぬ言葉が返ってきます。

 

「そんなこと言わずに、お大事に。」と返事しながら、樋野先生の「言葉の処方箋を思い浮かべていました。

いい人生だったか、悪い人生だったかは、最後の5年間で決まる

樋野興夫先生の「言葉の処方箋」です。

樋野興夫先生の本明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさいから

勝海舟が最後に残した言葉をご存知でしょうか。「これでおしまい」です。

私たち一人一人に与えられた「命」がそうであるように、「死」も私たちの一部です。どのような最期を迎えるか。

私たちの人生には「死ぬ」という大事な仕事が残されています。いい人生だったか、悪い人生だったかは、最後の5年間で決まります。

誰にも、いつ最後の5年間が始まるかわかりません。病気を持っているから早まるとか、健康体だからまだまだ始まらないというのではないと思います。今までの人生がどうあったかよりも、これからの生き方が私たち一人一人に問われているのだと思います。