~病気であっても、病人ではない~
先日、私の所属する「がん哲学外来金城カフェ」が開催され、夫もスタッフの一員として参加することができました。
金城カフェのプログラムの冒頭で、代表者が樋野興夫先生の「言葉の処方箋」を朗読します。今回は「病気であっても、病人ではない」でした。まさに夫にぴったりな「言葉の処方箋」だと思います。
樋野興夫先生の「言葉の処方箋」 ~病気であっても、病人ではない~
病気に支配されている人を病人といいます。それに対して、病気になっても希望をもって生きる人を誰が病人と呼ぶでしょうか。病気であっても病人でないとは、こういう人をいうのです。
(「がん細胞から学んだ生き方」より)
がんという一面を受け止めつつも、これまでと同じように、可能な限り自分の好きなことや好きな仕事を、無頓着なほどに大胆にしたらいいのです。
(「がん哲学外来にようこそ」より)
夫の仕事再開
夫は4月に入ってから、小さな病院で週一回の外来診察の仕事を始めました。しばらく治療のために仕事から遠ざかっていましたので、久しぶりの仕事です。
3月に「放射線治療と温熱療法」、「仙骨神経根ブロック療法」を集中的に受け、腫瘍マーカーの値が「4.8」の正常値になりました。
また、治療中に食欲が減り、糖尿病の値も改善しています。何よりも痛みが和らいでいるので、仕事にはちょうど良い時期なのかもしれません。
痛みが和らいでいるとは言え、医療用麻薬も服用していますので、体力的にむずかしいのではと心配していました。
驚いたことに、仕事をしているときは痛みを感じないのだそうです。緊張感もあり、痛みを感じる余裕がないということでしょうか?
夫は「やれるだけやりたい」「ちょっとだけ無理するのが肝心」と言います。可能な限り仕事をという気持ちを持っているのは、まさに「病気であっても、病人ではない」と言えると思います。
働く時間は短くても、がん闘病中であっても仕事をいただけるのはとても有難いことです。
実際がん治療にはお金もかかります。収入があると助かる、という現実もあり、それが仕事をこなすモチベーションにもなっているようです。
この夫の姿勢には、頭がさがる思いです。
家族にできることは、職場までの送迎です。幸いなことに車で30分の距離ですから、その日に2往復しても問題ありません。力になれることがあるだけでも嬉しいことです。
夫には、樋野先生の本にもあるように
可能な限り自分の好きなことや好きな仕事を、無頓着なほどに大胆に
無理しすぎることなく続けてほしいと思います。
~内なる人は日々新たに~
聖書には
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」 (Ⅱコリント人へ4:16)
とあります。
このみ言葉から、沸き上がるような力と勇気が与えられます。
「外なる人」とは肉体のこと、「内なる人」とは内面のことでしょうか。
外なる人が衰え疲れ果てても、内なる人が新しくされていくという、朽ち果てることない永遠を思います。
主に望みを見出し、新たにしていただいて歩んでいきたいものです。
次回に続きます。