10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

風化させてはいけないもの ハンセン病・長島愛生園の歴史

先日、長島愛生園の「愛カフェ」に参加させていただきました。入所者の自治会長をつとめる中尾伸治さんのお話しを伺い、忘れてはいけない歴史があることを痛感しました。

おもな歴史をまとめてみました。

●全体 長島愛生園

●古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文書に残っている記述からも、ハンセン病は、有史以来からあった。

●「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されており、戦国武将の「大谷吉継」がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっている。

●1907年(明治40年)らい予防に関する件の法律成立(各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれる患者さんの収容)

●1931年(昭和6年) らい予防法(全患者隔離)

1931年(昭和6年内務省告示第29号をもって本園の名称を「国立らい療養所長島愛生園」と定められた。

●1945年(昭和20年)第二次世界大戦 終結終戦

第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」継続

1948年(昭和23年)高松宮殿下、長島愛生園に来園

●1953年(昭和28年)特効薬プロトミン治療開始

1955年(昭和30年)定時制高等学校として岡山県立邑久高等学校新良田教室開校

1985年(昭和60年)高島重孝先生逝去(享年77歳)(長島を変革し、島を動かした大人物(*写真1))

1987年(昭和62年)岡山県立邑久高等学校新良田教室閉校。(第29回生卒業 入学生369名,卒業生307名)

1988年(昭和63年)邑久長島大橋開通(*写真2)

●1996年(平成8年) らい予防法廃止:らい予防法(全患者隔離)から65年後

●2001年(平成13年) ハンセン病国賠訴訟原告勝訴 小泉首相控訴断念を表明 

2003年(平成15年)長島愛生園歴史館会館(*写真3)

2005年(平成17年)天皇皇后両陛下行幸

2010年(平成22年)創立80周年記念式典

2012年(平成24年)日出会館(多目的集会所)完成(*写真4)

2018年(平成30年)総合診療棟工事完成

2018年(平成30年)邑久長島大橋開通三十周年記念式

2018年(平成30年)創立88周年記念日

長島愛生園に入所している方の平均年齢は88歳、数は年々減少しており現在86人となっているそうです。高齢化により、自らの体験を語れる人も減りつつあります。

愛生園の自治会長の中尾さんが言われるように、この歴史を忘れてはならないと思います。

ハンセン病や長島愛生園の学びを進めていく中で、患者だけでなく家族も多くの苦しみに直面していたことを知り、心が痛みます。政府の政策の影響もあり、全体の意識が歪められてしまったことは否定できないと思います。

今後も学びを深めながら、この悲しい歴史を繰り返さないように、自分自身何ができるかを考えていきたいと思います。

 

(*写真1)高島重孝先生顕彰碑 関連サイト(こちら)(こちら

 

(*写真2)邑久長島大橋

 

(*写真3)長島愛生園歴史館会館

 

(*写真4)日出会館(多目的集会所)

 


【参考サイト】
ハンセン病の歴史(こちら
NHK福祉情報サイト 記事公開日:2019年10月08日

ハンセン病とは 日本財団ホームページ(こちら

★歴史から学ぶハンセン病とは? 厚生労働省ホームページ(こちら

★長島愛生園入所者自治会のホームページ(こちら
新任のご挨拶 2011年2月1日
長島愛生園入所者自治会 会長:中尾伸治

「長島愛生園の旅の思い出 その4:愛カフェでの出会い」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第80回~

長島愛生園の日帰り旅行から10日ほど経ちました。「あの時、思い切って出かけて本当に良かった! 貴重な体験だった!」と、夫はとても喜んでいます。帰宅してからも、愛生園についての話題が尽きません。

旅の途中から両足にかなりの筋肉痛がありましたが、がんの痛みそのものは薬の服用で抑えられたことはラッキーでした。闘病中の夫にとっても、今回の長時間の旅行は実り多いものとなったと言えます。

一番の思い出では、愛カフェ(*1)に参加させていただき、高齢の入所者の方々と直接交流する機会を得たことです。入所者の皆さんに「遠いところからよく来てくださった。」と、にこやかに迎えていただけました。

愛カフェに参加された入所者は10名ほどでした。その中の3名の方とお話しできましたが、皆さん気さくに体験談を語ってくださり、その優しい話し方や愛に満ちた人柄に感銘を受けました。

中尾伸治さんのお話しから

89歳の愛生園で自治会長をつとめる中尾伸治さん(*2)からは、体験談ばかりでなく、これからの愛生園の課題についてもお話を伺うことができました。

これは、中尾さんと一緒の貴重な写真です。

中尾さんは、現在89歳です。ハンセン病が完治してからも30年前に脳腫瘍が見つかり手術を受けたそうです。また、昨年は肝臓がんの手術を受け現在治療中とのことです。自分自身が様々な病気に罹患しても、自治会長(*2)としての責任感や、物事を俯瞰的にとらえる姿勢に心打たれました。愛生園の歴史を風化させないよう、療養所を世界遺産に登録しようと運動(*3)を進めているそうです。

14歳で愛生園に入所した時のことも淡々と語ってくださいました。

「自分の病気のことを理解できていないまま、親元から離され、愛生園に入り、包帯でぐるぐる巻きの人たちを見て恐怖を感じた。島流しにあったんだと、その時自分の病気のことや状況がわかった。自分よりも小さい子供もたくさん入所していて、入所している大人が親代わりとなり、共同生活を余儀なくされた。」

生活環境ががらりと変わってしまうという苦しみや悲しみに直面したした人たちの中に、たくさんの小さな子供たちもいたことに衝撃を受けました。

入所者で行った作業

そのような状況に中でも、入所者同士で助け合いながら生きる方法を生み出していった人々のことも話してくださいました。

「満足に食べることもできなかった子供時代、畑を開墾したり、道路を整備(*4)したりと、入所している大人たちに交じっての生活だった。多い時は1700人位の入所者がいてぎゅうぎゅう詰め状態、住む家もないので自分たちで作り、病気を押しての自給自足状態だった。」

今回の愛カフェが始まる前、愛生園内を車で移動しながら撮った写真の中に、中尾さんのお話しに重なるものがあります。道路整備の「一朗道(いちろうどう)」(*4)、生活居住区の「あけぼの団地」です。

 

 

中尾さんのお話を伺って、ハンセン病の患者たちが過酷な経験を強いられていたことを知り、心が痛みます。その時代を生き抜いた人々の強さに深い敬意を抱きつつ、お会いした皆さんから勇気と力をいただきました。

愛生園の歴史が埋もれてしまわないように、中尾さんたちの運動を通して世界遺産に登録される道が見えてきますように願っています。私自身も夫と共に学びを深めていきたいと考えています。また、愛生園の歴史をできるだけ多くの人々に知ってもらいたいと思います。

愛生園に入所している方の平均年齢は88歳、数は年々減少しており現在86人となっているそうです。今ご健在の方々の日々が、平和で穏やかでありますようにと祈ります。

【注釈】

(*1)愛カフェ 語らいの場

場所:長島愛生園内にあるハンセン病療養所 日出会館2F
   〒701-4501岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
日時:毎月最終火曜日の13:30~14:30
事前申し込み必要 0869-25-0321
参加無料
交通アクセス(車)     岡山ブルーライン虫明ICから車で約10分
交通アクセス(公共)   JR邑久駅から長島愛生園行きバス約50分
長島愛生園見学クルーズのお知らせ  見学バス運行のお知らせ(こちら

(*2)愛生園で自治会長をつとめる中尾伸治さん 参考(こちら

ハンセン病制圧活動サイト People / ハンセン病に向き合う人びと

長島愛生園入所者自治会のホームページ(こちら
新任のご挨拶 2011年2月1日
長島愛生園入所者自治会  会長:中尾伸治

(*3)療養所を世界遺産に登録しようと運動  参考(こちら

朝日新聞 「国立ハンセン病療養所、後世にどう残すか課題」2020年10月27日の記事

(*4)「一朗道(いちろうどう)」

入所者、久保田一朗が先頭になって切り開いた道路の解説です。

(解説 中尾伸治さん)   2021/05/19


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これまでの記事

◎長島愛生園の旅の思い出 その1:写真コーナー(こちら

◎長島愛生園の旅の思い出 その2:新幹線とレンタカー(こちら

◎長島愛生園の旅の思い出 その3:写真コーナーの記事は(こちら 

 

 

 

写真で記録  ~長島愛生園の旅の思い出 その3:長島愛生園 歴史館~

2024年2月27日(火曜日)、長島愛生園内にあるハンセン病療養所で開催されている「愛カフェ」に、夫と一緒に参加してきました。早めに到着したので、長島愛生園内にある 歴史館も見学することができました。

その歴史館を紹介します。

歴史館【国の登録有形文化財

現在、この建物は長島愛生園の歴史館として利用されています。2月の時点では、建物に絡んでいる蔦は茶色になっています。春になると、パンフレットに描かれているような緑一杯の美しい景色に変わることでしょう。

この建物は少し高台に位置しているため、足腰の弱い夫にとっては少しキツい坂道だったかもしれませんが、頑張って歩いたと思います!!

歴史館の解説動画

「愛カフェ」でもお話しした中尾伸治さんが解説している歴史館の動画(2020年12月24日公開)    中尾伸治さんは、長島愛生園入所者自治会の会長

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展示室の中央に展示されている長島愛生園周辺の立体地図

 

ハーモニカバンド「青い鳥楽団」の歴史
長島愛生園で産声をあげたのは、1953(昭和28)年の秋のこと。発足時のメンバーは13名、このうち11名が全盲または弱視の視力障がい者、また晴眼者も含めてほとんどのメンバーが手や足の不自由を抱えていたそうです。この続きの記事は(こちら

 

長島愛生園の敷地内に開校したハンセン病入所者のための唯一の高校「新良田(にいらだ)教室」 

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ハンセン病の歴史 関連記事は( こちら

 

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恵みの鐘

恵みの鐘の解説動画

1936年、処遇改善を求めたハンガーストライキ(長島事件)の舞台となった恵の鐘の解説です。(解説 石田雅男さん)  2021/09/16


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愛生園の歴史館を訪問して

愛生園の歴史館を訪問して、厳しい状況の中でも精一杯生きた人々がいたことを知り、胸が熱くなりました。この歴史を忘れることなく、身近な問題として学んでいきたいと思います。

次回の ~長島愛生園の旅の思い出 その4:愛カフェでの体験~ は、闘病記第80回に続きます。

参考:これまでの記事
◎長島愛生園の旅の思い出 その1:写真コーナー (こちら

◎長島愛生園の旅の思い出 その2:新幹線とレンタカー(こちら

「長島愛生園の旅の思い出 その2:新幹線とレンタカー」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第79回~

先日、長島愛生園の日帰り旅行から無事に帰ってくることができてホッとしています。

一番の目的は、長島愛生園にあるハンセン病療養所において毎月最終火曜日に行われている「愛カフェ」に参加することでした。

「愛カフェ」については、田中真美先生からご紹介いただきました。私が所属しているがん哲学外来金城カフェの2周年記念イベントに参加してくださった際にお話を伺い、ぜひお訪ねしたいと思ったのです。

長島愛生園までの交通手段

夫は、ハンセン病療養所で行われている「愛カフェ」に関心を持ち、できるだけ早く行ってみたいと強く望んでいました。私も行ってみたいのは山々だけれど、名古屋からとても遠いので、足腰が弱っている夫には無理があるのではと思っていました。

ところが夫は、「早く行かなければ、高齢化している入所者には、もう会えなくなるかもしれない。」とあきらめる様子はありません。抗がん剤治療中で痛みが和らいでいる今がチャンスかもしれない、なんとかならないものかと思い巡らしてみました。

名古屋から長島愛生園までは約300kmもあります。車で移動するのが夫にとって楽だとは言え、片道5時間を私一人で運転するのは自信がありませんでした。

昨年6月に、約450kmあるひろめ市場まで、新幹線と電車を利用して一泊旅行に行ったことがありますが、その時に比べて足腰がかなり弱くなっています。

どうしたものかと考えていたところ、途中まで新幹線に乗り、あとはレンタカーを利用してはどうかな? とのアイディアが浮かんできました。夫も喜んで賛成してくれました。

その後は、一気に計画が進み、名古屋駅から岡山駅まで新幹線に乗り、岡山駅でレンタカーを借りて、「愛カフェ」の開催場所まで移動することになりました。この交通手段が夫にとって無理のない方法だったと思います。

満員電車で席を譲ってくださった方に感謝!

名古屋駅までは、まず地下鉄に乗って、途中の千種駅で在来線のJRに乗り換えました。名古屋駅で乗り換えるより、歩く距離が短くて済みます。ところが、ちょうど通勤ラッシュの時間帯に当たってしまったため、電車は満員となってしまいました。立ったまま電車に乗ることを覚悟していたのですが、幸いにも席を譲ってくださる方がいて本当に助かりました。足の筋肉痛がありましたが、悪化しなくて済んだと夫も喜んでいました。

岡山駅からのドライブ

晴れていたこともあり、途中の景色もきれいに撮れました。

長島愛生園のある長島に渡ったところから撮った邑久長島大橋

入所者を絶対隔離から解放し、隔離時代の終わりを象徴するものとして1988年に開通された邑久(おく)長島大橋。別名「人間回復の橋」とも呼ばれ、人間としての尊厳や自由を求めた入所者は、この橋を渡り帰郷したと語られています。

下記のサイトからの抜粋

https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/93562/leprosy

邑久大橋をわたり、長島愛生園に向かう道路標識についているトトロの絵にほっこり

今回は、早朝6時に出発し、名古屋駅から新幹線に乗り、岡山駅からレンタカーの旅となりました。

目的地の会場には11時過ぎに到着し、13:30から始まるまでの間、周辺の美しい風景を楽しんだり、長島愛生園歴史館も見学できました。

歴史館などの記事は、「長島愛生園の旅の思い出 その3」に続きます。

 

参考1):長島愛生園の旅の思い出 その1 写真コーナーの記事は(こちら)

参考2):2023年5月12日 金曜 午後4:30 岡山放送から

「やっと人権が耳に届いた…」 開通から35年 元ハンセン病患者が振り返る“人間回復の橋”


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長島愛生園入所者自治会・中尾伸治会長:
閉じ込められていた時間が長すぎて、35年あっという間だった。この橋が架かって以降、ひっきりなしに誰かが来てくれて、だんだん普通の生活ができるようになってきた

近況報告 2024/2/21(水)~2/29(木)

その日の気づき等
2024年
※がん疼痛医療用麻薬「オキシコンチン(徐放性の錠剤)」と「オキノーム散(速放性の粉薬)」は同じ成分の薬。通常はオキシコンチン錠を1日2回服用しながら、突発痛が襲った際には、オキシノーム散をレスキュー投与するといった具合に使い分けます。1日の飲んだ全体の量を数値に表し、痛み具合を記録することにします。

2/21    (水)    痛み 0.5~1.0  390mg

2/22    (木)    痛み 0.5~1.5  420mg

2/23    (金)    痛み 0.5~1.0  390mg

2/24    (土)    痛み 0.5~1.0  330mg

2/25    (日)    痛み 0.5~1.5  330mg

2/26    (月)    痛み 0.5~1.0  390mg

2/27    (火)    痛み 0.5~1.0 390mg

長島愛生園への日帰り旅

mariamatch.hatenablog.com

mariamatch.hatenablog.com

2/28    (水)    痛み 0.5~1.0 360mg

2/29    (木)    痛み 0.5~1.0 360mg

田中真美先生の紹介

田中真美先生は、ハンセン病の医療史や薬学史も含む長島愛生園療養所の人びとの生活や宗教、文学などの現地の資料調査や聴き取りを続けています。
詳細は、(こちら

また、岡山県瀬戸内市にあるハンセン病療養所で、毎月最終火曜日に行われている「愛カフェ」をサポートしています。

さらに、私の所属する「がん哲学外来金城カフェ」の開設記念(2022年4月3日)と、2周年記念イベント(2024年1月28日)にもお越しいただき、愛生園と愛カフェのことを紹介していただきました。

両イベントでは、がん哲学外来の創始者である樋野興夫先生の講演もありましたが、田中先生も一緒に来場してくださいました。

 

💛「がん哲学外来金城カフェ」の開設記念(2022年4月3日)

田中真美先生:前列左側から2人目 樋野興夫先生:前列中央

 

💛「がん哲学外来金城カフェ」の2周年記念イベント(2024年1月28日)

田中真美先生:後列左側から5人目 樋野興夫先生:写真の中央

 

💛岡山県瀬戸内市にあるハンセン病療養所で、毎月最終火曜日に行われている「愛カフェ」の写真 2024年2月27日

田中真美先生:前列一番右側  

神谷永子様:前列一番左側(田中先生が研究している「神谷美恵子」次男徹様の奥様)

 

 

田中真美先生:前列中央

中尾伸治様:前列右側から2人目(89歳、愛生園入所者の自治会長)

写真で記録  ~長島愛生園の旅の思い出 その1~

2024年2月27日(火曜日)、岡山県瀬戸内市にあるハンセン病療養所で、毎月最終火曜日に行われている「愛カフェ」に、夫と一緒に参加してきました。

その療養所は、自宅から300km以上も離れた遠い場所にあります。夫は足腰が弱っており、抗がん剤治療中ですので、長時間の移動に耐えられるかどうかと心配でした。

ところが、夫は「足はとても疲れたけれど、心地よい疲労感がある!」と言っています。思い切って出かけて本当に良かったと思います。

ハンセン病経験者の方々と直接話すことができ、貴重な経験を積むことができた素晴らしい旅行となりました。

 

次の写真は、「愛カフェ」の様子です。この日は、入所者が約10名、看護師やカフェの関係者、参加者あわせて40名から50名ほどだったと思います。

入所されている方が、気さくにご自身の体験を語ってくださり、その長い歴史の重みを感じられるひと時となりました。

 

この日は、若い看護師さんもたくさん来られていて、各テーブルでお話しを通して交流されていました。

 

この「愛カフェ」のことは、私の所属している金城カフェのイベントにも参加してくださった田中真美先生のご紹介です。田中真美先生は、ハンセン病の医療史や薬学史も含む長島愛生園療養所の人びとの生活や宗教、文学などの現地の資料調査や聴き取りを続けていらっしゃいます。

夫も「愛カフェ」に関心を示し、高齢になられたハンセン病経験者の声を直接お聞したいと願っていました。

次の写真の新聞は、の10周年を迎えた「愛カフェ」の参加者に挨拶する樋野興夫先生の記事です(2022年10月9日)。長い歴史がありますね。

 

今回は、早めに会場に着いたので、長島愛生園の周りを散策できました。心癒される美しい景色が広がっています。

向こうに見える島は、長島でしょうか?

 

愛生会館

 

歴史館

 

ロザリオ教会

 

多い時は、1500名の入所者がおられたそうですが、今は高齢化が進み、86名に減少しているとのことです。ハンセン病自体は完治しているものの、後遺症やがん罹患、認知症などの症状もある方も多いと知りました。
現在は、看護師や職員あわせて400名いらっしゃるとのこと、入所者よりも多く、人数的には十分サポートが受けられるようになっているのかもしれません。

86名の入所者の方々が穏やかな日々を送られることを心から願っています。

 

次回 ~長島愛生園の旅の思い出~ は、
闘病記に続きます。