10歳のマリアのブログ

~~直腸がんで抗がん剤治療中の夫に寄り添う妻の気づき~~

「夫の帯状疱疹は転倒が引き金に?」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第82回~

夫が帯状疱疹に罹患して1ヶ月が過ぎました。表面の湿疹はだいぶ良くなり、皮膚の保護用のガーゼをしなくても大丈夫になりました。とはいえ、頭皮にできた湿疹の痒みがまだ収まらないのが辛いようです。もうしばらく我慢の治療が続きそうです。

夫は「帯状疱疹には、参ったな~。あの時に転んだりしなければ良かったかも。」と、症状が出た前日の出来事を思い出しています。

帯状疱疹は、もともと体内に入り込んでいたヘルペスウイルスが原因となり、何かの引き金となって発症する場合があるとも言われます。夫の場合は、転倒が大きく関わっているとしか思えません。

転倒

症状が出た前日の夜、夫が大きく転倒しました。そのとき私は洗面所でドライヤーで髪を乾かしていましたが、それでも「ドスン」という大きな音が聞こえるほどでした。急いで音がした台所に行ってみると、なんと夫が仰向けに倒れていたのです。

焦りましたが、私自身が状況を冷静に判断する必要があると思い、まずは声掛けをしてみました。「どうしたの?」と尋ねると、夫からは「起こしてほしい」とのはっきりした答えがありました。意識はしっかりいて、自分で起き上がろうとしていました。

夫は足腰の筋力弱くなっているため、起き上がる時は手すりなどに頼らないと起き上がれません。近くにあった椅子を夫の腰の近くに移動して、それを支えにしてなんとか無事に立ち上がることができました。

落ち着いてから夫に話を聞くと、料理中に向きを変えようとした際に足がもつれて転倒したとのことでした。倒れたときに左腰を打ちつけ、さらに左側の額も強く打ってしまったそうです。倒れる時、とても怖かったと言っていました。起き上がってもしばらく、打った腰と頭に痛みがあり、そのざわざわした恐怖感も続いたそうです。

その時に受けた精神的なストレスが、打った左側の頭部に帯状疱疹としてヘルペスウイルスが猛威を振るう一つの原因になったではないかと思います。夫も転倒を後悔していました。

転倒した時、包丁やお皿を持っていなかったこと、倒れたところがテーブルと冷蔵庫の間だったのも、まだ良かったと思います。

転倒は、やはり怖いということを改めて思わされました。夫は、昨年の8月にも転倒して、額を打ったことがありましたが、その時より今回の方が数段痛かったそうです。

それでも料理再開

今回の転倒に懲りて、料理は控えるのかなと思っていましたが、食べることが大好きな夫は懲りる気配はありません。かゆみが収まっている時は、夜中であっても料理はしたいようです。本人は、「ゆっくりゆっくり動けば大丈夫、コツが分かった。」と言います。食べたいときに、食べたいものを食べるのはストレス解消にも良いのかもしれません。できるだけ、私にも手伝わせてほしいとお願いしていますが。

今回の夫の帯状疱疹は、予想外の展開でした。幸い、がん疼痛が抑えられているのは、助かります。痒みからも解放される日が1日も早く来ることを願っています。

 

次回に続きます。

 

「夫が帯状疱疹に罹患!」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第81回~

夫のがん疼痛の痛みが緩和し、過ごしやすい日々が続いていました。ところがそれが一転し、夫が帯状疱疹に罹患してしまいました。がん治療とはまた違う新たな治療の始まりです。

数日前、夫は額の左側に複数の小さな発疹ができ、痛みを訴えました。近くで見てみると、髪の毛の中にもジュクジュクした湿疹ができていました。どういうことだろう? と思っているうちに、ヒリヒリとした痛みが強まり、日に日に湿疹の範囲が広がっていくではありませんか。瞼も腫れ始め、症状は明らかに悪化していました。

皮膚科と眼科を受診 (*1)

思い切って、直腸がんの外科手術を執刀してくださった消化器外科の主治医にご相談したところ、急いで大学病院の皮膚科を受診するようアドバイスを受けました。夫が抗がん剤治療で通院している大学病院は皮膚科もあるので、すぐに受診を決めました。基本的には予約患者が優先されますが、今回は緊急時ということで当日に診てもらうことができました。

早速、皮膚科を受診したところ、帯状疱疹と診断されました。さらに、帯状疱疹が目の周りにも広がっているため、眼科の受診も勧められ、その日のうちに両方の科を受診することができ、眼科、皮膚科共にいくつかの薬が処方されました(後述)。

この日の診察で帯状疱疹であることが明らかになり、少しは安心することがでたように思います。症状が悪化する原因が特定されるまでは、夫も私も不安で一杯でした。

私は10年ほど前に帯状疱疹を経験していますが、夫はこの病気に罹ったのは初めてです。しばらく、帯状疱疹独特のヒリヒリとした鋭い痛みを我慢しなければなりませんが、幸いがん疼痛は和らいだままなので助かります。夫は、がん疼痛とは明らかに違い、帯状疱疹の痛みの方が辛いくらいだとも言います。

帯状疱疹の治療&薬の服用の記録 (*2)

帯状疱疹の治療薬として、皮膚科と眼科からあわせて4種類の薬が処方されました。点眼薬は一日3回、眼軟膏は一日5回と回数が多いので忘れないようにしなければなりません。

いつも服用している糖尿病内科の薬(8種類)、抗がん剤点滴治療科の薬(3種類)、がん疼痛用麻薬(4種類)もあります。それぞれの薬には服用タイミングや回数の決まりがあるため、介護を担っている者にとっては、まるでパズルのような組み合わせです。記録をこまめに取りながら、夫が間違いなく服用できるように気を配りたいと思います。

がん闘病生活を送っている夫に、新たな帯状疱疹の治療も加わり、体への負担が増えてしまいました。夫は、まさか帯状疱疹を経験するとは思っていなかったと言います。

もうすぐ夫の誕生日がやってきます。食べることが大好きな夫は、プレゼントに本格的なお好み焼き(車で約1時間の距離にある「じゃけん  名古屋店」)を食べに行きたいと、その日を思い描いているようです。皮膚科と眼科に処方された薬が良く効いて一日でも早い帯状疱疹からの回復が待たれます。

 

主よ、いつまででしょうか。 イザヤ6:11

預言者イザヤが神様に問いかける言葉です。

私も主を信頼し、いつまでですか? と主に聞き続けながら、回復を祈っていきたいと思います。

【注釈】

(*1)近況報告(こちら)を参照

(*2)近況報告(こちら)を参照

次回に続きます。

「長島愛生園の旅の思い出 その4:愛カフェでの出会い」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第80回~

長島愛生園の日帰り旅行から10日ほど経ちました。「あの時、思い切って出かけて本当に良かった! 貴重な体験だった!」と、夫はとても喜んでいます。帰宅してからも、愛生園についての話題が尽きません。

旅の途中から両足にかなりの筋肉痛がありましたが、がんの痛みそのものは薬の服用で抑えられたことはラッキーでした。闘病中の夫にとっても、今回の長時間の旅行は実り多いものとなったと言えます。

一番の思い出では、愛カフェ(*1)に参加させていただき、高齢の入所者の方々と直接交流する機会を得たことです。入所者の皆さんに「遠いところからよく来てくださった。」と、にこやかに迎えていただけました。

愛カフェに参加された入所者は10名ほどでした。その中の3名の方とお話しできましたが、皆さん気さくに体験談を語ってくださり、その優しい話し方や愛に満ちた人柄に感銘を受けました。

中尾伸治さんのお話しから

89歳の愛生園で自治会長をつとめる中尾伸治さん(*2)からは、体験談ばかりでなく、これからの愛生園の課題についてもお話を伺うことができました。

これは、中尾さんと一緒の貴重な写真です。

中尾さんは、現在89歳です。ハンセン病が完治してからも30年前に脳腫瘍が見つかり手術を受けたそうです。また、昨年は肝臓がんの手術を受け現在治療中とのことです。自分自身が様々な病気に罹患しても、自治会長(*2)としての責任感や、物事を俯瞰的にとらえる姿勢に心打たれました。愛生園の歴史を風化させないよう、療養所を世界遺産に登録しようと運動(*3)を進めているそうです。

14歳で愛生園に入所した時のことも淡々と語ってくださいました。

「自分の病気のことを理解できていないまま、親元から離され、愛生園に入り、包帯でぐるぐる巻きの人たちを見て恐怖を感じた。島流しにあったんだと、その時自分の病気のことや状況がわかった。自分よりも小さい子供もたくさん入所していて、入所している大人が親代わりとなり、共同生活を余儀なくされた。」

生活環境ががらりと変わってしまうという苦しみや悲しみに直面したした人たちの中に、たくさんの小さな子供たちもいたことに衝撃を受けました。

入所者で行った作業

そのような状況に中でも、入所者同士で助け合いながら生きる方法を生み出していった人々のことも話してくださいました。

「満足に食べることもできなかった子供時代、畑を開墾したり、道路を整備(*4)したりと、入所している大人たちに交じっての生活だった。多い時は1700人位の入所者がいてぎゅうぎゅう詰め状態、住む家もないので自分たちで作り、病気を押しての自給自足状態だった。」

今回の愛カフェが始まる前、愛生園内を車で移動しながら撮った写真の中に、中尾さんのお話しに重なるものがあります。道路整備の「一朗道(いちろうどう)」(*4)、生活居住区の「あけぼの団地」です。

 

 

中尾さんのお話を伺って、ハンセン病の患者たちが過酷な経験を強いられていたことを知り、心が痛みます。その時代を生き抜いた人々の強さに深い敬意を抱きつつ、お会いした皆さんから勇気と力をいただきました。

愛生園の歴史が埋もれてしまわないように、中尾さんたちの運動を通して世界遺産に登録される道が見えてきますように願っています。私自身も夫と共に学びを深めていきたいと考えています。また、愛生園の歴史をできるだけ多くの人々に知ってもらいたいと思います。

愛生園に入所している方の平均年齢は88歳、数は年々減少しており現在86人となっているそうです。今ご健在の方々の日々が、平和で穏やかでありますようにと祈ります。

【注釈】

(*1)愛カフェ 語らいの場

場所:長島愛生園内にあるハンセン病療養所 日出会館2F
   〒701-4501岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
日時:毎月最終火曜日の13:30~14:30
事前申し込み必要 0869-25-0321
参加無料
交通アクセス(車)     岡山ブルーライン虫明ICから車で約10分
交通アクセス(公共)   JR邑久駅から長島愛生園行きバス約50分
長島愛生園見学クルーズのお知らせ  見学バス運行のお知らせ(こちら

(*2)愛生園で自治会長をつとめる中尾伸治さん 参考(こちら

ハンセン病制圧活動サイト People / ハンセン病に向き合う人びと

長島愛生園入所者自治会のホームページ(こちら
新任のご挨拶 2011年2月1日
長島愛生園入所者自治会  会長:中尾伸治

(*3)療養所を世界遺産に登録しようと運動  参考(こちら

朝日新聞 「国立ハンセン病療養所、後世にどう残すか課題」2020年10月27日の記事

(*4)「一朗道(いちろうどう)」

入所者、久保田一朗が先頭になって切り開いた道路の解説です。

(解説 中尾伸治さん)   2021/05/19


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これまでの記事

◎長島愛生園の旅の思い出 その1:写真コーナー(こちら

◎長島愛生園の旅の思い出 その2:新幹線とレンタカー(こちら

◎長島愛生園の旅の思い出 その3:写真コーナーの記事は(こちら 

 

 

 

「長島愛生園の旅の思い出 その2:新幹線とレンタカー」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第79回~

先日、長島愛生園の日帰り旅行から無事に帰ってくることができてホッとしています。

一番の目的は、長島愛生園にあるハンセン病療養所において毎月最終火曜日に行われている「愛カフェ」に参加することでした。

「愛カフェ」については、田中真美先生からご紹介いただきました。私が所属しているがん哲学外来金城カフェの2周年記念イベントに参加してくださった際にお話を伺い、ぜひお訪ねしたいと思ったのです。

長島愛生園までの交通手段

夫は、ハンセン病療養所で行われている「愛カフェ」に関心を持ち、できるだけ早く行ってみたいと強く望んでいました。私も行ってみたいのは山々だけれど、名古屋からとても遠いので、足腰が弱っている夫には無理があるのではと思っていました。

ところが夫は、「早く行かなければ、高齢化している入所者には、もう会えなくなるかもしれない。」とあきらめる様子はありません。抗がん剤治療中で痛みが和らいでいる今がチャンスかもしれない、なんとかならないものかと思い巡らしてみました。

名古屋から長島愛生園までは約300kmもあります。車で移動するのが夫にとって楽だとは言え、片道5時間を私一人で運転するのは自信がありませんでした。

昨年6月に、約450kmあるひろめ市場まで、新幹線と電車を利用して一泊旅行に行ったことがありますが、その時に比べて足腰がかなり弱くなっています。

どうしたものかと考えていたところ、途中まで新幹線に乗り、あとはレンタカーを利用してはどうかな? とのアイディアが浮かんできました。夫も喜んで賛成してくれました。

その後は、一気に計画が進み、名古屋駅から岡山駅まで新幹線に乗り、岡山駅でレンタカーを借りて、「愛カフェ」の開催場所まで移動することになりました。この交通手段が夫にとって無理のない方法だったと思います。

満員電車で席を譲ってくださった方に感謝!

名古屋駅までは、まず地下鉄に乗って、途中の千種駅で在来線のJRに乗り換えました。名古屋駅で乗り換えるより、歩く距離が短くて済みます。ところが、ちょうど通勤ラッシュの時間帯に当たってしまったため、電車は満員となってしまいました。立ったまま電車に乗ることを覚悟していたのですが、幸いにも席を譲ってくださる方がいて本当に助かりました。足の筋肉痛がありましたが、悪化しなくて済んだと夫も喜んでいました。

岡山駅からのドライブ

晴れていたこともあり、途中の景色もきれいに撮れました。

長島愛生園のある長島に渡ったところから撮った邑久長島大橋

入所者を絶対隔離から解放し、隔離時代の終わりを象徴するものとして1988年に開通された邑久(おく)長島大橋。別名「人間回復の橋」とも呼ばれ、人間としての尊厳や自由を求めた入所者は、この橋を渡り帰郷したと語られています。

下記のサイトからの抜粋

https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/93562/leprosy

邑久大橋をわたり、長島愛生園に向かう道路標識についているトトロの絵にほっこり

今回は、早朝6時に出発し、名古屋駅から新幹線に乗り、岡山駅からレンタカーの旅となりました。

目的地の会場には11時過ぎに到着し、13:30から始まるまでの間、周辺の美しい風景を楽しんだり、長島愛生園歴史館も見学できました。

歴史館などの記事は、「長島愛生園の旅の思い出 その3」に続きます。

 

参考1):長島愛生園の旅の思い出 その1 写真コーナーの記事は(こちら)

参考2):2023年5月12日 金曜 午後4:30 岡山放送から

「やっと人権が耳に届いた…」 開通から35年 元ハンセン病患者が振り返る“人間回復の橋”


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長島愛生園入所者自治会・中尾伸治会長:
閉じ込められていた時間が長すぎて、35年あっという間だった。この橋が架かって以降、ひっきりなしに誰かが来てくれて、だんだん普通の生活ができるようになってきた

「突然の強い痛み」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第78回~

直腸がんの外科手術を受けてから3年8ヶ月が過ぎようとしています。このところ、痛みが和らいでいる日が多く、自宅では杖なしで移動できるようになっています。仙骨や第五腰椎への転移があり強い痛みを経験しましたが、その都度、放射線療法や抗がん剤治療、がん疼痛麻薬の服用など様々な医療的サポートを受け、なんとか日常の生活が送れています。

とは言え、骨に転移したがん細胞が消えることはありません。時にはがん細胞が猛威を振るうことを痛感した出来事もありました。

突然の強い痛み

つい先日の朝のことです。夫の「痛い、痛い」という声で目が覚めました。急いで夫のベッドに駆け付けたところ、今までに痛みがなかった腰の部分に強い痛みがあるというではありませんか。昨夜は、いつもより痛みが強く、なかなか眠れなかったと言います。

がん疼痛麻薬を服用してもらい、痛むところをマッサージしてあげたところ、少し痛みが収まったようです。その後、湯たんぽを使って体を温めると、昨夜の疲れもあったようで、ぐっすり眠ってくれました。

がん疼痛麻薬の服用回数をいつもより増やしたり、痛む腰をマッサージしたりと対処したところ、次の日には痛みをほとんど感じないほどまでに落ち着きました。

痛みに苦しんでいる最中は、夫も私も、昨年の第五腰椎に転移した時のことが頭をよぎりました。がん細胞がさらに広がったのであれば、再度放射線療法を受けなければならないかもしれないと焦りました。幸い、強い痛みを感じた日から数日たった現在、強い痛みはありません。夫も「あの強い痛みは、何だったんだろう?」と不思議に思っているようです。

2週間に一回の通院

腰の痛みを感じてから5日後には、定期的な通院の日がありました。この日は糖尿病科の受診や抗がん剤の点滴治療など、4つの科を受診しました。朝8時半に病院に到着し、会計を済ませて薬を受け取り、すべてが終わったのは12時半を過ぎていたように思います。4時間もの長時間、病院に滞在しましたが、夫は意外と疲れを残していないように感じました。

治療のために血液検査のデータが非常に重要ですが、今回はすべての数値が良好な結果であったため、夫の様子も軽やかに見えました。

その結果の詳細記事は(こちら

腰の痛みが消えたことに本当に驚いています。3月の終わりに造影CT検査を受ける予定なので、もしかしたら、その中で痛みの原因が見つかるかもしれません。

とはいえ骨に転移しているので、いつ強い痛みがやってくるか分からないというのは気がかりです。その時はその時でなんとか対処しながら乗り切っていきたいと思います。

次回に続きます。

 

 

「抗がん剤治療後の驚きの一日:夫とのスーパーでの買い物」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第77回~

昨年の9月に受けた放射線療法のおかげで痛みが和らぎ、比較的体調が良い日が続いています。今年に入って3回目の通院となった先日、2週間に一回の抗がん剤点滴治療を受けてきました。

抗がん剤点滴を受けるととても疲れるので、病院からまっすぐに帰宅しベッドに横になるのが習慣でした。抗がん剤は、がん細胞を攻撃する一方で、正常な細胞にも影響を及ぼすことがあります。そのためなのか、抗がん剤治療を受けると体力が消耗し、気分もすぐれなくなります。

ところがこの日はいつもと違い、治療後に疲れが出ることもなく、夫はスーパーに立ち寄って買い物をしたいと言い出しました。抗がん剤点滴治療直後に、これだけ体力が残っているのは珍しいことです。もしかしたら、初めてのことかも知れません。

スーパーでカートを押して、好きな食材を選んでいく夫の後ろ姿を見守りながら、こんな日もあるのかと信じられない思いでした。

一見ありふれた買い出しでも、普段ベッドに横になっている夫のことを思うと、特別な光景です。しかも抗がん剤点滴の帰りですから、余計印象に残りました。大袈裟ですが、貴重な時間でした。何気ないことに喜びを発見できた気分です。

夫とのたわいもない会話

実は、夫が買い出しをすること自体、我が家ではとても珍しいことなのです。がんに罹患する前、それどころか出会った当初から、夫は、食べることには意欲的ですが、食料の買い出しにはあまり興味がありませんでした。がんに罹患してからはなおさらです。私も夫に手伝ってほしいと思ったことはなく、買い出しはすっかり私の役割になっていました。

がんに罹患する前の夫とのたわいもない会話を思い出しました。「何か一つあなたにお願いできるとしたら、いつか一緒にスーパーに買い物に行って、重い荷物も持って欲しいな。」夫は、「それくらいはできるよ、重い荷物ももちろん。」と答えてくれていました。

痛みが緩和しているとはいえ、足腰が弱っている夫に重い荷物をお願いすることは現実的ではありません。ですが、一緒にスーパーに買い物に行くことの願いは叶いました。

この日のような何気ないことにも幸せを感じられるのは、ありがたいことであり、幸いなことだと心から思います。

いつも喜んでいなさい

骨に転移した夫の直腸がんは治らないでしょう。これからがん細胞がどんなに暴れても、その時はその時だと思っています。

そんな現実を受け入れつつ、次の聖句を思います。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節

この聖句を心に刻んで、これからも夫と共に闘病生活を送っていきたいと思います。

次回に続きます。

「座長の務めを無事にできました(^^♪」~「夫の直腸がん闘病生活と寄り添う妻(10歳のマリア)」第76回~

2024年1月28日(日曜日)、がん哲学外来の創始者である樋野興夫先生をお迎えして、私の所属する金城カフェ主催の2周年記念イベントが開催されました。多くの方にご来場いただき、またYouTube配信でも多くの方に視聴していただけました。

夫の体調も良く、無事に座長を務めることができ、ほっとしています。抗がん剤治療の効果と医療用麻薬の服用により、最近は痛みが和らいでいましたが、当日までそれが続くかどうか、少しドキドキしていました。本人も出席できたことをとても喜んでいます。

 

ふり返れば、2年ほど前の2022年4月3日、「金城カフェ開設記念イベント」で樋野興夫先生のご講演を聴いた際、夫は一般参加者として熱心に耳を傾けていました。その経験がきっかけとなり、夫は金城カフェのスタッフとして活動することになりました。樋野先生のお話にあった「役割意識」「使命感」というキーワードから、今までの基礎医学の経験を活かせるかもしれないと感じたそうです。

その開設記念イベントから2年が経った今回、夫婦揃って樋野先生と再会できたことは感慨深いものを覚えます。

 

第Ⅰ部に続いて開催された第Ⅱ部でも、たくさんの参加者と共に過ごすことができました。礼拝堂から記念館へと場所を移動したこともあって、和やかな雰囲気の中での質疑応答となりました。

 

夫は、現役時代、学会で座長を度々務めたことありますが、がん哲学外来のイベントの座長は初めての経験でした。そのため、いつもとは違う緊張感もあったと思います。終わってからは「少し自分のことを話をし過ぎてしまった。座長として役目を果たせたかどうか」と気にしていました。

以前一緒に働いていた方からは、「瀬戸先生はお体は少し辛そうでしたが、相変わらずお話がお上手で、色々なお話が伺えて興味深かったです。」「瀬戸先生もしっかり座長を全うされてあり、何よりでした。」との温かい感想をいただきました。

がん哲学外来カフェを立ち上げることを計画しているグループも複数来られていました。夫も、がんの患者さんや、さまざまな悩みを抱える方々との対話の場が増えることを喜んでいます。

近々開設記念講演を企画している「豊橋ホサナキリスト教会」にも行ってみたいと夫が言い出したのには、少々驚いてしまいました。その時に、果たして夫の体調が良い状態であるかどうかは全く分かりません。とは言え、新たながんカフェの開設記念に行ってみたいという気持ちが起きただけでも凄いことです。

翌朝の体調の変化

当日は、痛みもあまりなく機嫌よくイベントに出席できたことは喜ばしいことです。

ところが、翌朝の朝食時に、食べ物がのどに詰まりかけてしまいました。突然せき込み、息がし辛い状態に陥ってしまいました。幸い、少し休んだだけで症状は収まりましたが、夫も私も焦りました。これは今までにあまり経験していないことです。気持ちは晴れ晴れとしていましたが、思いのほか、体には疲労感が残っていたようです。

ここで食欲がなくなってしまうかなと思っていたところ、1時間ほど横になっただけで食欲戻ったようで、いつもようにパクパク食べ始めました。この食欲が夫の強みなのかもしれません。

まだまだ、闘病生活が続きます。豊橋ホサナキリスト教会の開設記念で、再び樋野先生とお会い出来るかも知れません。その時を思い描いて、日々歩んでいきたいと思います。

 

次回に続きます。

 

がん哲学外来金城カフェ2周年記念イベント

第Ⅰ部で歌われた「いのちの歌」の歌詞

 

いのちの歌

生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに

胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ

 

この星の片隅でめぐり会えた奇跡は

どんな宝石よりもたいせつな宝物

 

泣きたい日もある絶望に嘆く日も

そんな時そばにいて寄り添うあなたの影

二人で歌えば懐かしくよみがえる

ふるさとの夕焼けの優しいあのぬくもり

 

本当にだいじなものは隠れて見えない

ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある

 

いつかは誰でもこの星にさよならを

する時が来るけれど命は継がれてゆく

生まれてきたこと育ててもらえたこと

出会ったこと笑ったこと

そのすべてにありがとう

この命にありがとう

 


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